第六講 寂光の里の祈り-六道輪廻の果てに

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Ⅰ 大原へ、そして寂光の里                                        【第十三回】

壇の浦の海に入水するも源氏の武者によって引き揚げられ、都ヘの道を歩んだ女院(建礼門院徳子)は洛外、吉田の辺の荒れ果てた、もと奈良法師の住んでいた坊に身を置き、文治元年(一一八五)五月一日、髪を落とし、仏道に帰依した。そしてその二ヶ月余、元暦二年七月九日、都を襲った元暦の大地震は女院の佗び住まう吉田の朽ち坊をも搖るがした、加えて都近き住まいのこと、相次ぐ縁辺の親族の耐え難き悲報の数々は、女院に「憂き亊聞かぬ深き山の奥の奧へも入りばや」という思いを搔き立てた。折しも大原山の奥、寂光院という所が閑かな居所であることを告げられた女院は、その地を目指す心を固め、大原への道を歩んだ。文治元年(一一八五)長月の末、洛北大原の里の晩秋の景情は、侘しい寂寥感に満ちてはいたが、同時にこの閑寂な地は女院の心に新たな生活を始める希望の思いをももたらした。寂光院の傍らに方丈の庵を結んだ女院は、この地で母二位殿に託された、先帝の菩提、一門の人々の死後の救済を願う修道、勤行の日々を積み重ねていく。女院の新たな戦いの日々の始まりであった。

Ⅱ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(一)        【第十四回】

前回の終わりに、文治二年(一一八六)四月廿日、壇の浦で族滅した平氏一門の怨霊の発動を鎮めるために高野山大塔に於いて弔いの法事を施行した後白河法皇が、その直後、大原の里に閑居する女院の許を訪れる、世に言う大原御幸を遂行したことに触れた。本講は、大原の里に到り着いた後白河法皇が、女院との対面以前、庵室の背後の山上に花を摘みに出掛けた留守を預かる老尼、阿波内侍に再会し、女院のありようの一端を知ると共に、女院不在の庵室を目視し、仏道に寄せる高い志を知ると共に、往時に変わる激変した日常座臥の様相に思わず涙を流す一齣から始発する。そして、悲喜こもごもの深い因縁を持つ女院との対面は、灌頂巻最大のテーマを徐々に開陳していく。法皇はこの庵室で久方振りに対面した女院の「御ありさま」を見て、天人の五衰の悲しみはこの人間世界にもあるものよ、という感慨を漏らしたことに、端を発し、女院の自己の生涯を六道の輪廻になぞらえる、いわゆる六道語りが展開する。ここでは、六道の内、天道・人間道・餓鬼道・修羅道・地獄道の語りを見つめる。

Ⅲ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(二)        【第十五回】

前回にご紹介した女院の六道語りの内、天道・人間道・餓鬼道・修羅道・地獄道は女院の人生の歩んだ実体験をそのまま、上記五道のそれぞれに比定したものであったが、六道の最後に据えられた畜生道は、女院の夢の世界の出来事を女院の畜生道体験とする点で、特異な語りとなっている。女院の夢に見た出来事は内裏にも勝る立派な宮殿に先帝安徳をはじめ一門の公卿殿上人が威儀を正して列座している光景、女院の「これはいづくぞ」という問いに、二位殿の声とおぼしく、ここは「竜宮城」という応答。宮殿の威容に嘆賞の言を吐きながらも、我が子先帝の身を案ずる女院が、「是には苦はなきか」という問いに、苦の存在を告げる二位殿の言葉は、「龍畜経のなかに見えて侍らふ、よくよく後世をとぶらひ給へ」という気掛かりなものであった。この夢の世界の出来事が、何故、女院の畜生道体験となるのか、竜宮城のある世界の苦しみとは何か、二位殿が伝えた「龍畜経」とはいかなる経典か、さまざまな謎を孕んだ女院の夢体験と言えよう。そしてこれらの謎こそ、建礼門院の物語を描き出す潅頂巻の核心部に通ずる入口の扉と言えよう。その謎の扉に踏み入る。