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[人文科学アカデミー] オンデマンド

《講座案内》

本講座は、日本の代表的な古典、『平家物語』の魅力、すなわちこの作品のおもしろさ、深さ、豊かさなどをお伝えしようとする講座です。この作品のおもしろさ、深さ、豊かさは、必ずしも自明なものではありません。

古典という遠い時代に生まれた作品を、いわば遅れてきた読者として読む現代の私たちは、古典の生まれた時代、あるいは、『平家物語』が描き出す時代の空気を直接的に見聞、感知することはできません。しかし、今日に遺されたさまざまな文献資料・図像資料・遺構・遺物等のもの史料、あるいは、この作品を愛した先人たちがこの作品の考察に費やしてきたさまざまな努力の成果、そして、哲学・歴史学・文学研究の各分野に於いて国境を越えて積み重ねられてきたテクストの読み方に関する理論的な省察は、遅れてきた読者が所有している利点です。

本講座は、そうした利点を活かしながら、日本の代表的な古典、『平家物語』を読み、深めることを目指す講座です。 古典を読むという過去への旅は、実はそのまま過去から現代を豊かにする、そして、古典を読む私たちを、その心の生活において、新たな私に更新してくれる、すぐれて創造的な営みでもあります。日本の重要な転換期を描き出す『平家物語』という作品が、私たちの父祖・母祖の歩いてきた道筋の一端を、また政争が武力によって決する不幸な時代の人々の深切なありようをどのように映し出しているか、その一端を微力ながらお伝えできればと思います。(講師・記)

千葉大学名誉教授 栃木 孝惟

●栃木孝惟(とちぎ・よしただ) 
東京大学文学部国文学科卆業・同大学院博士課程単位取得満期退学。
千葉大学・清泉女子大学教授を経歴、現在、千葉大学名誉教授。
著書に『平家物語 上・下』(ほるぷ出版)『軍記と武士の世界』(吉川弘文館)、『軍記物語形成史序説―転換期の歴史意識と文学』(岩波書店)など。ほかに共編著
多数。

《本講座の構成》 

第一講 「祇園精舎」-「祇園精舎の鐘」「沙羅双樹の花」を中心に     (第一回)

第二講 遊女往生-祇王                                           

Ⅰ 祇王一家の繁栄と仏の出現                              (第二回)

Ⅱ 清盛の変心と祇王の放逐                                (第三回)

Ⅲ 六波羅蜜と女たちの往生                                (第四回)

第三講 倫理への殉死、そして治承のクーデターの発端-平重盛

Ⅰ 父清盛への諫言                                        (第五回)

Ⅱ 倫理への殉死                                          (第六回)

Ⅲ 重盛と治承のクーデター                                (第七回)

第四講 恩愛の彼方へ-平維盛

Ⅰ 美貌の貴公子                                          (第八回)

Ⅱ 富士川合戦の虚実・維盛像造型の虚実                    (第九回)

Ⅲ 紫雲の上の夢・蒼海の底の祈り                          (第十回)

第五講 滅亡の海-壇の浦とその前後 

Ⅰ 壇の浦の知盛、そしてその過去                         (第十一回)

Ⅱ 安徳天皇入水、そして母女院(建礼門院)の帰洛と出家    (第十二回)

第六講 寂光の里の祈り-六道輪廻の果てに

Ⅰ 大原へ、そして寂光の里                           (第十三回)

Ⅱ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(一)       (第十四回)

Ⅲ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(二)       (第十五回)

《講義内容》

第一講 「祇園精舎」-「祇園精舎の鐘」「沙羅双樹の花」を中心に         【第一回】

『平家物語』冒頭の文章の表現の持つ特性を考えることから始め、「祇園精舎の鐘」とはいかなる鐘か、その「鐘の声」に「諸行無常の響き」があるとは、どのようなことか、また「沙羅双樹の花の色」が「盛者必衰の理をあらはす」というのは何故か。そのような問いを基軸に、その問いの向こうに広がる『平家物語』の基本思想のありようを見つめる。

第二講 遊女往生-祇王

Ⅰ 祇王一家の繁栄と仏の出現                                  【第二回】

権力者清盛の絶大な寵愛を受けた白拍子祇王の物語の発端。まずは、白拍子の起源・芸態に関する敍述を確認し、清盛の寵愛を一身に受けることとなった祇王とその母の語られぬ過去の錬磨、そして、清盛の寵愛を受けることとなった経緯に関する『平家』諸本の異なる記述、さらには、祇王一家の繁栄を羨望する時代の白拍子の生態の一面などを眺める。そして、北陸道加賀国に出自を持つ、舞の芸に非凡な才能を持つ一人の少女の上洛が、祇王の物語のドラマの幕開けとなる経緯を見つめる。第一回は、この少女が天下人清盛の住む西八条の邸に推参する場面まで。

Ⅱ  清盛の変心と祇王の放逐                                  【第三回】

北陸道加賀国から都に進出した仏という名の年若き白拍子は、都で絶大な称賛を獲得し、時の天下人清盛の館に推参する。しかし、祇王に絶対的な寵愛を寄せる清盛はけんもほろろに対面を拒絶、その慘めな退出に深い同情を寄せたのが祇王その人であった。年若き同業の白拍子の心事を思いやり、仏との対面を清盛に懇願、とりなした祇王の温情が、祇王にどのような運命をもたらしたか。清盛・仏の初めての対面の場面から、今回の講義を始める。遊女と権力者、二人の白拍子の行き違う心の葛藤、祇王の物語の核心的なドラマが展開する。

Ⅲ 六波羅蜜と女たちの往生                                   【第四回】

清盛の邸を放逐され、清盛の新たな寵愛人となった仏のつれづれを慰めるために西八条の邸に参上せよという権力者の過酷な命を受けた祇王が、命を賭けてその命を拒もうとした決意も、母とぢの懇ろな説得によって、ついに西八条の邸に参上、落つる涙を抑えて謠った今様は、その座のすべての人々に感涙の涙を流させた。そして、この辛い体験が祇王のみならず母とぢ・妹の祇女をも嵯峨の山里にその身を運ばせ、一向専修に念仏する修道の生活に誘う。嵯峨の山里に訪れた秋の初めのある夕暮れ、今は尼となった祇王ら三人の住む竹の編戸をほとほととたたく音。衝撃的な祇王の物語の結末と、この物語に仕掛けられた往生とは何か、というテーマを読み解く。

第三講 倫理への殉死、そして治承のクーデターの発端-平重盛            【第五回】

Ⅰ 父清盛への諫言

物語の世界に描き出される作中人物としての重盛は、父清盛との関係において重要な役割を付与され、この人物の持つ意味、その人間的内容が開示されていく。巻一「清水寺炎上」の章段は、清盛と重盛との関係が鮮明な形を採って表れる最初の章段であるが、まずは、この章段の虚実も明らかにしながら、後白河法皇に不安を抱く父清盛に対する重盛の最初の諫言の様相を見つめる。そして、後白河法皇と清盛の亀裂を決定的なものとした鹿谷の陰謀の発覚は、名高い巻二「小教訓」・「教訓状」の二章段において、重盛の諫言を基軸として展開する父と子の人間劇を映し出す。物語の作者が描き分ける二つの個性の愛情を潛めた葛藤劇とその帰趨を追う。

Ⅱ  倫理への殉死                                                【第六回】

絶対的な権力者清盛に対して、その嫡男重盛は時代の人々の心を支配した仏教・儒教の徳目を一身に人格化した存在として物語世界に造型されているが、物語世界の重盛は自らの備えた倫理そのものの繫縛によってほとんど自死に似た死への道を選ぶことになる。死後の世界の実在を確信していた中世の人々の特有の死生観を紹介しながら、一夜見た夢によって一門の滅亡を確信し、嫡男維盛に自己の死を予告する重盛の言動を眺め、さらに、その予告の経緯が明らかにされる重盛の熊野権現への祈りの言葉を見つめる。重盛の運命の帰趨を委ねられた熊野の神は重盛にどのような意志を示したか。熊野権現の託宣のありようと、その後の重盛の姿を、実在の人物としての重盛のありようと対比しながら辿る。

Ⅲ 重盛と治承のクーデター                                     【第七回】

重盛世を去って三ヶ月後、治承三年(一一七九)十一月七日の夜、都の大地が激しく震動した。陰陽頭安倍泰親は急ぎ内裏に参上、この地震は緊急に災厄の起こる予兆であることを奏上した。同月十四日、福原に隠棲していた前太政大臣平清盛が突如数千騎の軍兵を率いて洛中に入った。いわゆる治承の政変、治承のクーデターの開始である。衆口嗷々、都の人々の怖じ怖れる中、清盛は武力を背景に公卿殿上人四十三人の官職を剥奪、関白藤原基房を都から追い、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉した。王法に対する清盛のこの敵対行為は、何故生まれたか。史実と物語の両面から清盛の怒りの要因を伺い、その重なりと差異、この問題をめぐっての物語世界に存在する清盛・重盛父子恩愛の様相を見つめる。

第四講 恩愛の彼方へ-平維盛                                      【第八回】

Ⅰ 美貌の貴公子

平維盛は清盛の孫、重盛の嫡男として平氏嫡統に位置する平氏一門の枢要な人物である。しかし、維盛は源平対決の屋島合戦以前、屋島に陣を布く平氏一門を離脱し、那智の海に入水して果てた。維盛は、何故、危機の中にある一門に背を向け、自死の道を選んだか。第一回は『平氏系図』から、維盛の父重盛、そして維盛が背負っていた婚姻関係を確認し、さらに幼・少・青年期を平氏のいや増さる繁栄期に重ねた維盛が、宮廷社会の中で、どのような資質を生い育てたか。維盛青春期の印象的な風景を諸文献の中に見つめるとともに、いつか反平氏の気運の釀成される不穩な時節の中、父重盛の期待の子として形影相伴うかの如き重盛・維盛父子の姿と、父重盛に死別し、治承のクーデター発生後、遂に一軍の大将として軍陣に臨む維盛のありようを辿る。

Ⅱ 富士川合戦の虚実・維盛像造型の虚実                         【第九回】

名高い富士川の合戦は、維盛が一軍を率いる大将軍として臨んだ、いわば初陣の合戦であった。この合戦が史実としてどのような合戦であったか、その実態・実情を三人の公家の日記、また鎌倉幕府の編述した『吾妻鏡』によって復元し、史実としての合戦の様態を明らかにすると共に、その合戦を『平家物語』がどのように描き出しているか、物語の描き出す富士川合戦の虚実を見定める。その作業は自ずから維盛像造型の中にも潜む虚実の様相を明らかにすることになるであろう。さらに富士川合戦以後の武将維盛のこれも史実と物語の差異を明らかにし、維盛像造型の中に物語の作者がいかようなテーマを付与しようとしているか。宮廷貴族社会の貴公子としてあった維盛が武門平氏の嫡統として武将の道をも歩むことを強いられた危機の時代の姿をも眺めながら、次回以降、平家一門都落ち後に全開する維盛問題を考えていく。

Ⅲ 紫雲の上の夢・蒼海の底の祈り                                【第十回】

維盛の父重盛の北の方は、後白河院の側近、平氏討滅を企てた鹿谷の陰謀の首謀者新大納言藤原成親の妹、そして維盛の北の方は成親の娘であった。維盛の北の方は父が平氏討滅を企て、その謀議発覚して舅の父清盛によって捕らえられ、殺された女性であった。類少なき苦難の境涯を背負うこととなったこの夫妻は、しかしながらそうした苦難を逆バネに一層強い夫妻の愛を強めたと思しく、維盛都落ちに際しての維盛と妻子別離の場面には、夫妻の愛の極北の姿が象られている。一門の人々とは異なり、妻の身を氣遣う故に、心強く西国への単独行を決意した維盛は、しかしながら、その恩愛の絆ついに断ちがたく、元暦元年三月十五日の暁、屋島の館を脱出した。維盛の脱出劇には、さらに一門の人々の維盛変心の疑惑、重盛の子等の源平対決の中の失点なども絡んでいた。妻子の居る京の地で、今一度の最後の対面を願った維盛の強い思いは、しかしながらその途次、囚われの身となった折の一門の恥辱を思う武将としての強い自制によって、その思いは断ちきられ、維盛の足は高野・熊野、そして那智の海へと向かった。維盛が恩愛の彼方に求めようとしたものは何か。維盛の身に展  開した政治劇、心情の劇を追う。

第五講 滅亡の海-壇の浦とその前後

Ⅰ 壇の浦の知盛、そしてその過去                               【第十一回】

一の谷の合戰に敗れた平氏は安徳天皇を擁し、平宗盛を棟梁とする本隊は屋島に遁れ、そこに本拠を据え、もう一隊は、平知盛を中心に関門海峡西端の嶋彦島に拠点を置き、源氏の軍勢を迎え撃つ体制を敷いた。しかし、源九郎義経を指揮官とする屋島攻撃の軍勢の攻勢は厳しく、屋島を追われた平氏本隊は知盛の軍勢と合流、壇の浦決戦の時を迎える。すでに兵力に於いて源平三対一の劣勢下にあった平軍の指揮官平知盛は決戦の火蓋が切られる折、船の屋形に立ち出で、今日が最後の戦であることを告げ、「退く気持ちを捨てよ、運命尽きれば敗れるも致し方なし、されど名が惜しい、弱氣を見せるな、命を惜しむな、これだけが思うこと」と全軍を叱咤、檄を飛ばした。そして、この檄は痛恨の過去を背負う知盛が誰よりも自らに向かって叫んだ言葉であった。知盛痛恨の過去とはいかなるものか、壇の浦合戦における知盛のありようを見つめるとともに、物語世界における知盛像造型の構想を考える。

Ⅱ 安徳天皇入水、そしてその母女院の帰洛と出家                  【第十二回】

壇の浦合戦最大の山場、安徳天皇入水の場面は、物語の世界において安徳天皇を抱いて入水したのは建礼門院徳子の母、幼帝安徳の祖母二位殿時子であったという設定である。幼帝を抱いて船縁に立った二位殿は、幼帝に地上の祖神伊勢大神宮に別れを告げ、あわせて西方浄土の阿弥陀の来迎を祈念する所作を教えた後、涙と共にその教えに従った幼帝をかき抱き、「波の下の都」を目指して船縁を蹴った。その折、二位殿の脇には、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉が脇挟まれ、腰にはこれも三種の神器の一つ草薙剣が差されていた。天皇を天皇として資格付ける日本国の宝物を海底に沈めることを決意した二位殿の心中には、この三種の神器をめぐる重い過去があった。三種の神器をめぐるこの女性の情念の劇と、入水に際して幼帝の後生と一門の救済を娘徳子に託したこの女性の遺言は幼帝の母女院にどのように受けとめられるか。幼帝の母として、母に重い使命を託された娘として類希な苦悩を背負った女院の動向をもあわせ見つめる。

第六講 寂光の里の祈り-六道輪廻の果てに

Ⅰ 大原へ、そして寂光の里                                     【第十三回】

壇の浦の海に入水するも源氏の武者によって引き揚げられ、都ヘの道を歩んだ女院(建礼門院徳子)は洛外、吉田の辺の荒れ果てた、もと奈良法師の住んでいた坊に身を置き、文治元年(一一八五)五月一日、髪を落とし、仏道に帰依した。そしてその二ヶ月余、元暦二年七月九日、都を襲った元暦の大地震は女院の佗び住まう吉田の朽ち坊をも搖るがした、加えて都近き住まいのこと、相次ぐ縁辺の親族の耐え難き悲報の数々は、女院に「憂き亊聞かぬ深き山の奥の奧へも入りばや」という思いを搔き立てた。折しも大原山の奥、寂光院という所が閑かな居所であることを告げられた女院は、その地を目指す心を固め、大原への道を歩んだ。文治元年(一一八五)長月の末、洛北大原の里の晩秋の景情は、侘しい寂寥感に満ちてはいたが、同時にこの閑寂な地は女院の心に新たな生活を始める希望の思いをももたらした。寂光院の傍らに方丈の庵を結んだ女院は、この地で母二位殿に託された、先帝の菩提、一門の人々の死後の救済を願う修道、勤行の日々を積み重ねていく。女院の新たな戦いの日々の始まりであった。

Ⅱ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(一)             【第十四回】

前回の終わりに、文治二年(一一八六)四月廿日、壇の浦で族滅した平氏一門の怨霊の発動を鎮めるために高野山大塔に於いて弔いの法事を施行した後白河法皇が、その直後、大原の里に閑居する女院の許を訪れる、世に言う大原御幸を遂行したことに触れた。本講は、大原の里に到り着いた後白河法皇が、女院との対面以前、庵室の背後の山上に花を摘みに出掛けた留守を預かる老尼、阿波内侍に再会し、女院のありようの一端を知ると共に、女院不在の庵室を目視し、仏道に寄せる高い志を知ると共に、往時に変わる激変した日常座臥の様相に思わず涙を流す一齣から始発する。そして、悲喜こもごもの深い因縁を持つ女院との対面は、灌頂巻最大のテーマを徐々に開陳していく。法皇はこの庵室で久方振りに対面した女院の「御ありさま」を見て、天人の五衰の悲しみはこの人間世界にもあるものよ、という感慨を漏らしたことに、端を発し、女院の自己の生涯を六道の輪廻になぞらえる、いわゆる六道語りが展開する。ここでは、六道の内、天道・人間道・餓鬼道・修羅道・地獄道の語りを見つめる。

Ⅲ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(二)             【第十五回】

前回にご紹介した女院の六道語りの内、天道・人間道・餓鬼道・修羅道・地獄道は女院の人生の歩んだ実体験をそのまま、上記五道のそれぞれに比定したものであったが、六道の最後に据えられた畜生道は、女院の夢の世界の出来事を女院の畜生道体験とする点で、特異な語りとなっている。女院の夢に見た出来事は内裏にも勝る立派な宮殿に先帝安徳をはじめ一門の公卿殿上人が威儀を正して列座している光景、女院の「これはいづくぞ」という問いに、二位殿の声とおぼしく、ここは「竜宮城」という応答。宮殿の威容に嘆賞の言を吐きながらも、我が子先帝の身を案ずる女院が、「是には苦はなきか」という問いに、苦の存在を告げる二位殿の言葉は、「龍畜経のなかに見えて侍らふ、よくよく後世をとぶらひ給へ」という気掛かりなものであった。この夢の世界の出来事が、何故、女院の畜生道体験となるのか、竜宮城のある世界の苦しみとは何か、二位殿が伝えた「龍畜経」とはいかなる経典か、さまざまな謎を孕んだ女院の夢体験と言えよう。そしてこれらの謎こそ、建礼門院の物語を描き出す潅頂巻の核心部に通ずる入口の扉と言えよう。その謎の扉に踏み入る。