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  • 《 平家物語 / 講義内容 》
目次

第一講「祇園精舎」-「祇園精舎の鐘」「沙羅双樹の花」を中心に  【第一回】

『平家物語』冒頭の文章の表現の持つ特性を考えることから始め、「祇園精舎の鐘」とはいかなる鐘か、その「鐘の声」に「諸行無常の響き」があるとは、どのようなことか、また「沙羅双樹の花の色」が「盛者必衰の理をあらはす」というのは何故か。そのような問いを基軸に、その問いの向こうに広がる『平家物語』の基本思想のありようを見つめる。

第二講 遊女往生-祇王

Ⅰ 祇王一家の繁栄と仏の出現                                  【第二回】

権力者清盛の絶大な寵愛を受けた白拍子祇王の物語の発端。まずは、白拍子の起源・芸態に関する敍述を確認し、清盛の寵愛を一身に受けることとなった祇王とその母の語られぬ過去の錬磨、そして、清盛の寵愛を受けることとなった経緯に関する『平家』諸本の異なる記述、さらには、祇王一家の繁栄を羨望する時代の白拍子の生態の一面などを眺める。そして、北陸道加賀国に出自を持つ、舞の芸に非凡な才能を持つ一人の少女の上洛が

Ⅱ  清盛の変心と祇王の放逐                                  【第三回】

北陸道加賀国から都に進出した仏という名の年若き白拍子は、都で絶大な称賛を獲得し、時の天下人清盛の館に推参する。しかし、祇王に絶対的な寵愛を寄せる清盛はけんもほろろに対面を拒絶、その慘めな退出に深い同情を寄せたのが祇王その人であった。年若き同業の白拍子の心事を思いやり、仏との対面を清盛に懇願、とりなした祇王の温情が、祇王にどのような運命をもたらしたか。清盛・仏の初めての対面の場面から、今回の講義を

Ⅲ 六波羅蜜と女たちの往生                                   【第四回】

清盛の邸を放逐され、清盛の新たな寵愛人となった仏のつれづれを慰めるために西八条の邸に参上せよという権力者の過酷な命を受けた祇王が、命を賭けてその命を拒もうとした決意も、母とぢの懇ろな説得によって、ついに西八条の邸に参上、落つる涙を抑えて謠った今様は、その座のすべての人々に感涙の涙を流させた。そして、この辛い体験が祇王のみならず母とぢ・妹の祇女をも嵯峨の山里にその身を運ばせ、一向専修に念仏する修道

第三講 倫理への殉死、そして治承のクーデターの発端-平重盛

Ⅰ 父清盛への諫言                                             【第五回】

物語の世界に描き出される作中人物としての重盛は、父清盛との関係において重要な役割を付与され、この人物の持つ意味、その人間的内容が開示されていく。巻一「清水寺炎上」の章段は、清盛と重盛との関係が鮮明な形を採って表れる最初の章段であるが、まずは、この章段の虚実も明らかにしながら、後白河法皇に不安を抱く父清盛に対する重盛の最初の諫言の様相を見つめる。そして、後白河法皇と清盛の亀裂を決定的なものとした鹿

Ⅱ  倫理への殉死                                                【第六回】

絶対的な権力者清盛に対して、その嫡男重盛は時代の人々の心を支配した仏教・儒教の徳目を一身に人格化した存在として物語世界に造型されているが、物語世界の重盛は自らの備えた倫理そのものの繫縛によってほとんど自死に似た死への道を選ぶことになる。死後の世界の実在を確信していた中世の人々の特有の死生観を紹介しながら、一夜見た夢によって一門の滅亡を確信し、嫡男維盛に自己の死を予告する重盛の言動を眺め、さらに、

Ⅲ 重盛と治承のクーデター                                     【第七回】

重盛世を去って三ヶ月後、治承三年(一一七九)十一月七日の夜、都の大地が激しく震動した。陰陽頭安倍泰親は急ぎ内裏に参上、この地震は緊急に災厄の起こる予兆であることを奏上した。同月十四日、福原に隠棲していた前太政大臣平清盛が突如数千騎の軍兵を率いて洛中に入った。いわゆる治承の政変、治承のクーデターの開始である。衆口嗷々、都の人々の怖じ怖れる中、清盛は武力を背景に公卿殿上人四十三人の官職を剥奪、関白。

第四講 恩愛の彼方へ-平維盛

Ⅰ 美貌の貴公子                       【第八回】

平維盛は清盛の孫、重盛の嫡男として平氏嫡統に位置する平氏一門の枢要な人物である。しかし、維盛は源平対決の屋島合戦以前、屋島に陣を布く平氏一門を離脱し、那智の海に入水して果てた。維盛は、何故、危機の中にある一門に背を向け、自死の道を選んだか。第一回は『平氏系図』から、維盛の父重盛、そして維盛が背負っていた婚姻関係を確認し、さらに幼・少・青年期を平氏のいや増さる繁栄期に重ねた維盛が、宮廷社会の中で、

Ⅱ 富士川合戦の虚実・維盛像造型の虚実                         【第九回】

名高い富士川の合戦は、維盛が一軍を率いる大将軍として臨んだ、いわば初陣の合戦であった。この合戦が史実としてどのような合戦であったか、その実態・実情を三人の公家の日記、また鎌倉幕府の編述した『吾妻鏡』によって復元し、史実としての合戦の様態を明らかにすると共に、その合戦を『平家物語』がどのように描き出しているか、物語の描き出す富士川合戦の虚実を見定める。その作業は自ずから維盛像造型の中にも潜む虚実。

Ⅲ 紫雲の上の夢・蒼海の底の祈り                                【第十回】

維盛の父重盛の北の方は、後白河院の側近、平氏討滅を企てた鹿谷の陰謀の首謀者新大納言藤原成親の妹、そして維盛の北の方は成親の娘であった。維盛の北の方は父が平氏討滅を企て、その謀議発覚して舅の父清盛によって捕らえられ、殺された女性であった。類少なき苦難の境涯を背負うこととなったこの夫妻は、しかしながらそうした苦難を逆バネに一層強い夫妻の愛を強めたと思しく、維盛都落ちに際しての維盛と妻子別離の場面。

第五講 滅亡の海-壇の浦とその前後

Ⅰ 壇の浦の知盛、そしてその過去                               【第十一回】

一の谷の合戰に敗れた平氏は安徳天皇を擁し、平宗盛を棟梁とする本隊は屋島に遁れ、そこに本拠を据え、もう一隊は、平知盛を中心に関門海峡西端の嶋彦島に拠点を置き、源氏の軍勢を迎え撃つ体制を敷いた。しかし、源九郎義経を指揮官とする屋島攻撃の軍勢の攻勢は厳しく、屋島を追われた平氏本隊は知盛の軍勢と合流、壇の浦決戦の時を迎える。すでに兵力に於いて源平三対一の劣勢下にあった平軍の指揮官平知盛は決戦の火蓋。

Ⅱ 安徳天皇入水、そしてその母女院の帰洛と出家                  【第十二回】

壇の浦合戦最大の山場、安徳天皇入水の場面は、物語の世界において安徳天皇を抱いて入水したのは建礼門院徳子の母、幼帝安徳の祖母二位殿時子であったという設定である。幼帝を抱いて船縁に立った二位殿は、幼帝に地上の祖神伊勢大神宮に別れを告げ、あわせて西方浄土の阿弥陀の来迎を祈念する所作を教えた後、涙と共にその教えに従った幼帝をかき抱き、「波の下の都」を目指して船縁を蹴った。その折、二位殿の脇には。

第六講 寂光の里の祈り-六道輪廻の果てに

Ⅰ 大原へ、そして寂光の里                                     【第十三回】

壇の浦の海に入水するも源氏の武者によって引き揚げられ、都ヘの道を歩んだ女院(建礼門院徳子)は洛外、吉田の辺の荒れ果てた、もと奈良法師の住んでいた坊に身を置き、文治元年(一一八五)五月一日、髪を落とし、仏道に帰依した。そしてその二ヶ月余、元暦二年七月九日、都を襲った元暦の大地震は女院の佗び住まう吉田の朽ち坊をも搖るがした、加えて都近き住まいのこと、相次ぐ縁辺の親族の耐え難き悲報の数々は、女院に

Ⅱ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(一)             【第十四回】

前回の終わりに、文治二年(一一八六)四月廿日、壇の浦で族滅した平氏一門の怨霊の発動を鎮めるために高野山大塔に於いて弔いの法事を施行した後白河法皇が、その直後、大原の里に閑居する女院の許を訪れる、世に言う大原御幸を遂行したことに触れた。本講は、大原の里に到り着いた後白河法皇が、女院との対面以前、庵室の背後の山上に花を摘みに出掛けた留守を預かる老尼、阿波内侍に再会し、女院のありようの一端を知ると共

Ⅲ 後白河法皇と女院の六道語り、そして聖衆来迎(二)             【第十五回】

前回にご紹介した女院の六道語りの内、天道・人間道・餓鬼道・修羅道・地獄道は女院の人生の歩んだ実体験をそのまま、上記五道のそれぞれに比定したものであったが、六道の最後に据えられた畜生道は、女院の夢の世界の出来事を女院の畜生道体験とする点で、特異な語りとなっている。女院の夢に見た出来事は内裏にも勝る立派な宮殿に先帝安徳をはじめ一門の公卿殿上人が威儀を正して列座している光景、女院の「これはいづくぞ」