「収録を終えて」 講師のことば
『奥の細道』 東京大学名誉教授 長島弘明
『奥の細道』 東京大学名誉教授
長島弘明
収録を終えて
第一回目の収録でもお話したことですが、『奥の細道』の旅は、旧暦3月下旬の深川出発から8月下旬の大垣着まで5か月にわたる長期の旅であり、関東・東北(太平洋側・日本海側)・北陸にわたるおよそ2400キロを踏破した旅ですから、文字通り大旅行ということができます。
その大旅行を記した紀行文で、名句満載の『奥の細道』は、400字詰めの原稿用紙で言えば、何百枚か、ひょっとすると千枚を越えるような、さぞ大長編の紀行だろうと何となく思いがちですが、案に相違して、実字数を数えてみれば、400字詰めの原稿用紙で30枚にも満たない小篇の紀行です。私は今回、授業の収録を始める前に、全篇を一気に音読してみました。少し早口だったかもしれませんが、本文を読み終えるのにかかった時間は35分30秒、跋(※1)をいれても36分で読み切ることが出来ました。
そんな短い『奥の細道』を、何度読み返しても飽きないのは、その文章の文体が文字通り千変万化し、句もユーモラスな句から荘厳、悲壮な句まで、変幻自在であるからです。
格調高い漢文の「賦」のような松島の風景描写があると思えば、『奥の細道』にしては珍しく和文脈がまさった、物語の一節かと思われるような那須野の馬を追って走る女の子(と男の子)の姿の点描もあります。また、「蚤虱馬(のみ・しらみ・うま)の尿(ばり)する枕もと」などという、旅のわびしさを詠んでいるはずなのに、つい笑ってしまうようなユーモラスな句があるかと思えば、初対面を楽しみにしていた俳人一笑が、昨年亡くなっていたことを知った時の芭蕉の句「塚も動けわが泣く声は秋の風」のような、まさに悲泣の絶唱の句もあります。
『奥の細道』は、優美な言葉、鋭利な言葉、清冽な言葉、荘重な言葉が、銀河の星のように明滅する小宇宙のような気がしてなりません。それらの言葉は、単なる旅の記録の言葉ではなく、まさに物語の中の言葉と同じです。『奥の細道』を読むと、時々物語を読んでいるかのような気分になるのは、理由があります。それは『奥の細道』が、旅の実体験をそのまま書いた記録ではなく、その旅の体験を種に、時に大胆な虚構を交えて創作した文学作品であるからです。講義では、『奥の細道』が虚構の創作であることを、曾良(※2)の旅日記と比較しながら何度かご説明しましたが、さてうまく説明ができましたかどうか……。
※1:跋(ばつ)…あとがきのこと。
※2:曾良(そら)…河合曾良。江戸時代の俳人で、1685年頃から芭蕉に師事した。