「収録を終えて」 講師のことば

『古事記』 東京大学名誉教授 多田一臣

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      『古事記』 東京大学名誉教授

 多田一臣

収録を終えて

 『万葉集』に引き続き、『古事記』の講座の収録を終えることができた。『万葉集』も『古事記』も、上代日本文学の看板と呼びうるような作品であり、このJPカルチャー・オンラインの講座に、その二つを収録できたことを、とてもうれしく思っている。

 『古事記』は、歴史書ではあるが、国家の歴史を記す『日本書紀』とは視点の置き方を大きく異にする。『古事記』が記そうとするのは、いわば宮廷の歴史であり、天孫降臨から連綿と続く皇統のありようを描くところに編纂の目的をもつ。しかも、編年体の『日本書紀』とは違って、『古事記』は、天皇代ごとの出来事を記すところに叙述の中心を置くから、その語り口はむしろ物語的になる。皇位継承の争い、反乱伝承、あるいはさまざまな恋の伝承等々。天地初発から葦原中国平定に至る物語も、出雲神話を大きく抱え込むことで、『日本書紀』とは違ったありようを示している。そうしたところが実に興味深い。

 『古事記』が物語的であることは、描き方の主眼が、そこに登場する人物一人ひとりの行動に置かれていたことでもある。『古事記』が高い文芸性をもつと評される理由は、何よりもそこにある。東西にわたる国家平定をたった一人で成し遂げ、しかも王権の中心から疎外され続けたまま最期を迎えるヤマトタケルのような悲劇的な英雄の像は、『古事記』でなければ生み出すことはできなかったに違いない。

 この講座では、そうした『古事記』の世界について、上巻・中巻・下巻のそれぞれに5回ずつを充てることにしたが、『古事記』の主要な内容は、ほぼすべてお話しできたように思っている。現在の研究の最前線の水準を踏まえたつもりではいるが、通説にあえて異を唱えたところもあったりする。そこは御容赦願いたい。

 『万葉集』の時と同様、いささか脱線気味になったところもあるが、これまた御愛敬と受けとめていただければ幸いである。掲げた写真は、ほとんどが私の撮影したものである。資料も含め、手作り感満載ともいえる。『古事記』はこんなにおもしろい。どうかお楽しみ下さい。

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